広島高等裁判所松江支部 昭和28年(ラ)7号 決定 1953年5月29日
抗告人 田中秀次
拘束者 鳥取刑務所長 橋本義二
被拘束者 松田静治 三橋恒治
主文
本件抗告を却下する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
抗告人は抗告の趣旨として原決定を取消し更に相当なる裁判を求める旨申立てその理由として陳べるところは次の通りである。
一、拘束せられた被疑者或は被告人と弁護人との交通権制限問題は極めて重要課題であり今後屡々発生することが予想せられるので、この機会に裁判を以て之を明確にすることは法の解釈適用上極めて有益であると考える。
抗告人の見解は原審決定が人身保護規則第二十一条第一項第五号によつてその請求を棄却するならば格別説示の如き理由は徒に末梢的法解釈に堕した嫌ありこの決定を是認することはできない。
二、そこで本件に於ては拘束者が被拘束者に対して為した弁護人との接見禁止行為が基本的人権の侵害であるか、又この侵害行為が人身保護法の救済を享け得るかどうかを明確にしなければならない。
謂う迄もなく基本的人権は人間の生命に実存する原始的権利であつて憲法、法律によつて賦与せられたものではなく只之を確認宣言したものに過ぎない。
その本質は人類進歩の源流であり社会、国家の基底に在つて、その向上と発展の推進力をなして居る前法律的権利であるから何人と雖も他の人権を侵害、毀損する権能を有しない。憲法はこの権利の尊重をば確認宣言しこれと表裏して各分野の法令はその保護に互に協力して居る事が見られる。
三、而して本件に在つて被拘束者松田静治、三橋恒治が犯罪の嫌疑を受けて裁判官秋山哲一の発付した適法な勾留状と接見禁止の決定により昭和二十八年四月十三日鳥取刑務所に収容せられた事は抗告人の争う処ではない。然し前記接見禁止の決定は弁護人との交通を制限したものでない事は刑訴法第三九条に照し寔に明白である。
元来弁護人と被拘束者との交通権は被拘束者に残された唯一のそして最後の自由であり人権保護の途であつて被拘束者はこの自由を通じて弁護人と交通しその精神的支持と法律的援護が供給せられ絶大なる検察陣の攻撃を防禦し当事者主義と公判中心主義を両翼とする健全なる刑事訴訟手続が推進せられるのである。然るに被拘束者にとつて極めて貴重なこの自由が拘束せられんか被拘束者は忽ち精神的支持と法律的援助を失い自ら虚脱混乱を来し検察官の強圧に屈し――検事を正義の使徒と観念する者は独断的官僚主義者の空想であつて検事と雖も人であり当事者主義の下に訴訟的抗争をなす以上勝訴を求めて狂奔することは被告人と異る処はない。――その薬籠中の者となり迎合虚構の自供をするに至る事はその事例稀ではない。
無論検察官の強制捜査権は尊重し弁護人の交通権に優先する場合ある事は刑訴法第三九条第三項に示され之による一定の制限を加える事はできるけれども、これとて原則として自由に交通することはできるが捜査の必要ある場合例えば現に被告人を訊問中である場合その他被拘束者を必要とする捜査に着手して居る時等に例外的に接見の日時場所を指定して之を制限し得るに過ぎない。従つて本件の如く何日にも亘つて之を禁止するが如きは被拘束者が防禦の準備をする権利を不当に制限することにもなり同条の厳禁する処である。
況んや刑務所長たる拘束者が捜査当局の以上の処置なきに拘らず単に接見禁止の決定によつて交通権を遮断するが如きは重大なる基本的人権の侵害に他ならない。
四、然るに原決定は本件の人権侵害が軽微なるの故を以て同法の対象にならぬ。同法で救済を求める人権侵害は「逮捕、抑留、拘禁」及之と規範的価値に於て同一或は同等の、身体を拘束又は制限する人権侵害でなければならないと謂うのである。
元来人身保護法は人権侵害に対する救済法であつてその侵害は肉体的、精神的の区別なくその軽重によつて取扱を異にする理由は理論的にも実践の上にも存在しない。
規則第三条に所謂「逮捕、抑留、拘禁」と表現した所以は人権侵害の最も重大にして典型的な形態を例示的に列挙したものであつてこの外その肉体及精神に対し軽重深浅の差こそあれ、種々な方法により又種々な形に於て侵害せられる事を予想して特に「等」を附加して居るのであるから逮捕、抑留、拘禁及之と同一同等の価値の侵害に限定する理由はない。
若し原決定を是なりとすれば本件の如き場合の外刑務官が被拘束者に継続的暴行、脅迫行為をなしよつてその人権を侵害せられても前記法律による救済は受けられない事になる。何処に斯様な区別をしなければならない理論的根拠があるのか。
苟も憲法が厳に之を保障している限り総ての法律は協同し競合して之を守護すべく互に排斥し或は保護を制限するような解釈をしてはならない。結局原決定の如き解釈は基本的人権を観念的にのみ理解しその真髄に触れて身を以てその重大性を理解しない結果に外ならないと見る。
抗告人の冀う処は人類進歩の源動力たる人権の重大性を認識し憲法の保障に従つて縦令軽微な侵害と雖も之を守護する世紀の勇気と聰明を追求するため本抗告をなす。
よつて按ずるに人身保護法においてはその救済の迅速なることを企図し民事訴訟法におけるような三審制度を採用しなかつた点人身保護法第二一条同規則第四一条により窺い得るように下級裁判所の判決に対し控訴はできないが最高裁判所に上告のみをなし得る旨特にうたつておる点決定に対する抗告については事の性質上即時抗告であるべきにかかわらず人身保護法及同規則共何等これに関しうたつておらない点等より推せば人身保護法は決定に対する不服申立の方法を認めておらないものと解するを相当とする。
然らば本件抗告は抗告権がないのに拘わらず抗告をしたものであつて不適法であり抗告の理由に対する判断をするまでもなく却下するの外なく本件抗告費用は抗告人をして負担せしめることとし主文の通り決定する。
(裁判長裁判官 平井林 裁判官 藤間忠顕 裁判官 組原政男)